【要約】時代のすべての異端児たちへ「覚悟の磨き方」(超訳 吉田松陰)編訳 池田 貴将

【更新日2021年9月13日】

こにちは〜「xxxryo」です!!

また良い本に巡りあえたので、紹介します!!

今回、紹介する本が、

「覚悟の磨き方」吉田松陰

という本になります!!

たまたま本屋で目についたのですが、

だれもが社会史で習って出てきた名前と思います、

吉田松陰」の名言集となっております。

ぼくは正直、幕末の偉人ぐらいで実際にはどんなことをした人まではわかりませんでした。。。

なので、詳しく読んでみたいなと思い手にしました。

結論から申しますと、

志を持ち、どのように生きたいのか?

について書かれているように感じました。

その軸がしっかり持つことで、

振り回されることなく自分の人生に集中して生きていけるのかなと思います。

では、まとめの部分を書いていきます^ ^

松陰からの学び一「動きながら準備する

やろう、とひらめく。

 

そのとき「いまやろう」と腰を上げるか、

「そのうちに」といったん忘れるか。

 

やろうと思ったときに、

なにかきっかけとなる行動を起こす。

 

それができない人は、

いつになってもはじめることができない。

 

むしろ次第に「まだ準備ができていない」という思い込みの方が強くなっていく。

 

いつの日か、十分な知識、道具、技術、資金、やろうという気力、いけるという予感、やりきれる体力、そのすべてが完璧にそろう時期がくると、信じてしまうのだ。

 

だがいくら準備をしても、

それらが事の成否を決めることはない。

 

いかに素早く一歩目を踏み出せるか。

 

いかに多くの問題点に気づけるか。

 

いかに丁寧に改善できるか。

 

少しでも成功に近づけるために、

できることはその工夫しかない。

 

よく行動する人は、

知識は必要最低限でいいと考える。

 

なぜなら実際に動く前に、

わかることなんてほとんどないと知っているからである。

 

だからよく失敗する。

 

だがそれで「順調」だと思っている。

 

そのように私たちの脳は、

自分の行動をうまく正当化するようにつくられている。

 

小さくても、「一歩を踏み出す」という行為さえ続けていれば、

「なぜこれが正しいのか」脳が勝手に理由を集めてくれる。

 

吉田松陰は、行動につながらない学問は無意味だと考えた。

 

大切なのは、不安をなくすことではない。

 

いかに早く、多くの失敗を重ねることができるか。

 

そして「未来はいくらでも自分の手で生み出すことができる」という自信を、

休むことなく生み続けることなのである。〜引用

松陰からの学び二「無駄を削ぎ落とす

集団社会で生きていくことは楽じゃない。

 

まわりに能力を認められるまで、

居場所を手に入れるのに必死だ。

 

ひとたび自分の居場所を手に入れれば、

今度はさらに居心地を良くするために、

ひとつ上の暮らし、地位、家族、実績…

などを手に入れようと必死になる。

 

そうするうちに、いつしか人は「居場所を守るため」に生きるようになる。

 

そのためだったら、たいていのことはできるようになり、

生き方や信念ですら曲げられるようになる。

 

安心感を求めるのは生存本能だ。

 

だが、松陰はそういう生き方を嫌った。

 

「安定した生活」の先には、

目に見えぬものに怯える、

つまらない日々しか待っていないと知っていたからだ。

 

松陰が理想としたのは武士の生き方だった。

 

士農工商という制度に守られていた武士は、

何も生み出さずとも禄(給料)があったが、

その代わり、四六時中「生きる手本」であり続けなければいけなかった。

 

武士は日常から無駄なものを削り、

精神を研ぎ澄ました。

 

俗に通じる欲を捨て、

生活は規則正しく、

できるだけ簡素にした。

 

万人に対して公平な心を持ち、

敵にすらもあわれみをかけた。

 

自分の美学のために、

自分の身を惜しみなく削った。

 

目の前にある安心よりも、

正しいと思う困難を取った。

 

そのように逆境や不安に動じることなく、

自分が信じている生き方を通すことこそが、

心からの満足を得られる生き方だと、

松陰は固く信じていた。

 

本当に大切にしたいことはなにか。

 

大切にしたいことのために、

今できることはなにか。

 

その問いのくり返しが、

退屈な人生を鮮やかに彩る。〜引用

松陰からの学び三「慣れ親しんだ場所から出る」

ひとりの人間には多くの可能性がある。

 

ただひとり、「自分」だけが可能性を制限することができる。

 

今までの自分が、

これからの自分を決定すると誰もが考えているのだ。

 

生まれてから今日まで、

いろんなつらいこと、

痛みを感じることがあった。

 

もう二度とそんな目に遭わないよう、

「自分」はつねに的確な助言をくれる。

 

過去の自分の言うことを聞けば安全で、安心だ。

 

だが「心からの充実」は得られない。

 

居場所の良い場所にい続ける限り、

「本当にやりたいこと」はできない。

 

むしろ新しい刺激に弱くなり、

だんだん感性が鈍くなってくるだけだ。

 

志は現状維持を否定する。

 

今のシステム、考え方、ルール、

そういうものを飛び越えないと実現しないものに、

目を向ける。

 

今、手にしている現実は、

過去の選択の結果だ。

 

そして未来は、今まさに、

心で決めたことによって決まる。

 

いつからでも。どこからでも。

 

松陰の感覚は「うまくいくか知らないが、これをやらなければなにもはじまらない」だった。

 

それは良い結果をだすためでも、

周囲から称賛されるためでもなく、

人並外れて強く、

心からの充実感を手に入れたいと思ったがためだった。

 

慣れ親しんだ場所から出たとき、

自分にとって本当の人生がはじまる。

 

評判は傷ついても、生き方は傷つかない。

 

生き方を傷つけるのは、自分だけである。〜引用

松陰からの学び四「負けん気を育てる」

いくら知識を増やしてもしょうがない。

 

すばらしい本を読んでも、

すばらしい話を聞いても、

旅に出てすばらしい景色を見ても、

それは知識が増えたというだけで、

人生の根本的な役には立っていない。

 

物事には本質と枝葉がある。

 

枝葉が知識なら、

本質は「どう生きたいのか」という志である。

 

この志を言葉にし、

いつも懐に携えていれば、

どこへ行って、

誰と会い、

何を見て、

何を聞いても、

あらゆるものが道を明るく照らす光となる。

 

どうすれば人は志を立てられるのだろうか。

 

その源は負けん気にある。

 

 

すばらしいものと出会ったとき、

「自分も同じ人間だ。負けてなるものか」

と発憤することができるかどうか。

 

ただそれだけである。

 

負けん気の正体を見つけることができたら、

もういても立ってもいられなくなるはずだ。

 

志のために行動をする。

 

そして志のために行動したからこそ、

はじめてその学問を理解できたと言える。

 

吉田松陰にはいつも「めざす人物」がいた。

 

「こういう人になるために、学ぼう」

という目標があった。

 

学問の神として敬われている吉田松陰だが、

それは「誰かに評価されるための学問」ではなく、

本当に自分が日本を変える人物になれるかどうかの、

孤独な真剣勝負だったのだ。〜引用

 

松陰からの学び五「自分が先頭を切る」

まずは自分から熱くなること。

 

 

自分から動き出すこと。

 

その姿を見て、

冷ややかになったり、

離れていったりする人もいるだろう。

 

だが同時にその想いを受け止めて、

一緒に熱くなってくれる人も必ず現れる。

 

 

表裏一体。

 

誰かにとって否定的なことは、

誰かにとって肯定的なことでもある。

 

だから自信をもって好きなことは好き、

嫌いなものは嫌いだと言えばいい。

 

そうすれば、まわりの人間が入れ替わって、

新しい友が次々と加わり、

「事を成し遂げる空気」

が生まれるはずである。

 

同じ志に向かって、

ともに歩める友人は貴重だ。

 

松陰は自分の弟子たちを「友」と呼び、

場所を問わず学び、

語り合い、

本音をさらけ出し合った。

松陰は人を信じやすく、

誰よりも優しかった。

 

また誰よりもずばぬけて熱くなりやすかった。

 

その熱さに本気で付き合える人だけが、

吉田松陰にとっての友であり続けることができた。

 

人生で合わなくなった友がいても、

それで絆が切れてしまうわけではない。

 

本音をぶつけ合った者同士、

その志はいつまでも心の中でつながっているものだ。

 

松陰は志半ばで命を落とした。

 

だがその志を受け、

明治維新はまさにおこった。〜引用

松陰からの学び六「終わりを意識する」

亭楽にふけることで、

一時的に忘れることはできる。

 

たがそれは静かに、

着実に歩み寄ってくる。

 

もしくは予想を裏切り突然やってくる。

 

ひとりとして例外はなく、

いつかは必ず対面する。

 

あろうことか、

本人もしらないうちに。

 

死。

終わりを意識できるのは人間だけだ。

それでも懸命になって、

死のイメージから逃れようとする人は、

いつの間にか「人生はいつまでも続くもの」だと思い込まされているのかもしれない。

 

人生は長いと思う人もいる。

 

人生は短いと思う人もいる。

 

だが本気で生きるということは、

 

「わずかな残り時間でなにができるか」

 

を必死で考えることによく似ている。

 

やり残していることを、

臆せずにやればいい。

 

死を意識すれば、

人の「生」は否応なく正解を導き出すはずだから。

 

松陰は死罪だとわかっていながら、

迷うことなく海外へ密航しようと試みた。

 

死ぬまで出られないとわかっていながら、

牢獄の中で「人生とはなにか」を学び、

人に教え続けた。

 

三十年という短い一生の中で、

松陰が見つけた「死への決着」とはなんだったのか。〜引用

まとめ

人生とはと考えさせられる一冊でした。

 

ぼくの中でとくに印象的だったのが、

本質は「どう生きたいのか」という志である

という文章でした!!

すごくシンプルでまっすぐに伝わってきて、

考え深い文章でした。

これからは自分の中にある、

どう生きたいのか

を軸にして人生を送りたいと思いました。

非常に学べる一冊となってますので、

紹介させていただきました^ ^

ぜひ読んでほしいオススメの一冊です!!

 

 

 

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